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扇動者 SVEN VÄTH|渋谷の大晦日にOPEN TO LASTを披露

SVEN VÄTH

 
エレクトロニック・シーンの扇動者 SVEN VÄTH

大晦日のカウントダウンにOPEN TO LASTセットで登場

そのキャリアと共に迎える2024年

 
SVEN VÄTH(スヴェン・フェイト)が渋谷WOMBにて行われる大晦日のカウントダウンにOPEN TO LASTセットで登場する。

伝説を維持するのは簡単でない。

来年で60歳を迎える彼の人生を辿ってみると、決してすべてが順風満帆ではなかったことに気づかされる。

SVEN VÄTH とは一体どんな人物なのか?

実際のところ、名前を聞いたときの先入観だけで判断してはいないだろうか?

いま一度、これを機にスヴェンのこれまでの半生をまとめてみよう。

 

 
土壌に恵まれた青年期

破竹の勢いで躍進した90年代

時代への順応に成功した2000年代

 
1964年10月26日生まれ(現在59歳)のスヴェンは、フランクフルト近くの町で誕生したとのこと。両親の影響で彼は早くからロックン・ロールからディスコなど、幅広い音楽に出会う機会に恵まれこととなる。

1980年の夏、地元フランクフルトでイビサ島の話を聞き、その後、初めてイビサ島を訪れ、そして島で3か月を過ごすこととなり、そこでの時間に魅了されてキャリアを志す決心をしたとのこと。(以下、年時系列)

1982年 スヴェンはフランクフルトの「Dorian Gray」でレジデントとしてプレイをすることになり、そこで Michael Münzing と Luca Anziloti に出会う。

1985年 SvenとMichael MünzingとLuca Anzilotiの3人は「Off(Organisation for Fun)」を結成し “Bad News “をプロデュース。このトラックをスヴェンはイビサに持ち込み、当時人気だったAlfredo、Pippi、Cesar等に売り込んだ。

1986年 Off(Organisation for Funはデビュー・アルバム『Organisation For Fun』収録の新曲 “Electrica Salsa “でブレイク。この曲はヨーロッパ中でヒットし、スヴェンは22歳にしてVanessa ParadisやAxel Bauerといったスターと共演するポップ・センセーションとなり、100万枚を売り上げた。

 

 
■Omenの時期

1988年 24歳のスヴェンはミヒャエル・ミュンツィングとマティアス・マルティンゾーンとともにフランクフルトに「Omen」をオープンさせた。その後『グルーヴ・マガジン』誌の投票でドイツ最高のクラブのひとつとなり、ドイツにおけるテクノ発祥の地のひとつとされている。

■Eye Q & Harthouse Recordsの時期

1991年 「Eye Q」をHeinz Roth、Matthias Hoffmanと共にスタート。彼の最も有名なアルバムのうち2枚がリリースされる。

1992年 「Harthouse Records」レーベルを立ち上げ、Barbarellaという別名でレコーディングを行う。

■Cocoonの始動

1996年 ご存じの「Cocoon」を開始。この名前は、スヴェンが1994年にベルリンのテンポドロームで『La Fura dels Baus』を観たことに由来するそうだ。そのショーでは水で満たされた繭が吊るされた小道具が登場し、それが最終的に、変身と変化を表現する彼の次のプロジェクトの名前となったとのこと。

彼はこのコンセプトでドイツ全土、さらには北米までツアーを行った。しかし、パーティは金銭的に苦しかったようで、完全な成功とは言えなかったが、1999年にプロジェクトの再開を決め、続いてブッキングエージェンシーを設立。そしてイベント、レコードレーベルと続いた。

Talida Wagnerの協力で設立されたこのブッキングエージェンシーは、Ricardo Villalobos、Matt John、Dubfireなど多くの有名アーティストを擁する。現在もTobi Neumann、Onur Özer、Rareshなど多くのアーティストブッキングを手がけている。

また、Cocoon Recordingsは多くの有名DJのキャリアの出発点となり、Martin Buttrich、Loco Dice、Roman Flügel、Guy GerberなどのアーティストがCocoonからトラックをリリース。同レーベルは毎年契約アーティストの作品を紹介するためにアルファベットにちなんだコンピレーション(例: Cocoon Compilation A)をリリース。

レーベルの目的は「意欲的なプロデューサーがメジャーレーベルに頼ることなく、自分たちの音楽をリリースするプラットフォームを持てるようにすること」であった。

2013年 同レーベルは100枚目のリリースを迎えた。

 

 
■Virginと契約

1998年 大手レコードレーベル「Virgin Records」と3枚のアルバム契約を結ぶ。

彼は「Fusion (1998)」「 Contact (2000)」「Fire (2002)」をリリースし、「Fusion」ではテクノ、エレクトロ、トリップホップのサウンドで世界中をツアーする。

このアルバムは様々なアーティストによってリミックスされ、6枚組のスペシャル・ヴァイナル・エディションとしてリリースされた。また、ヴァージンは2000年にEye Qからの代表作を集めたコンピレーションもリリースしている。

■Cocoon Ibizaの始動

1999年 イビサでのサマーシーズン、AmnesiaのMar Tはスヴェンに、月曜日を利用してCocoonパーティを開くことを提案。4回のトライアル期間を経て、Cocoon Partyは2000年から13年間、14回に渡って月曜日に開催された。

Cassy、Carl Craig、Josh Wink、Adam Beyer、Ricardo Villalobosなど、エレクトロニック・ミュージック界の世界最高峰のDJたちがデッキを操り、華やかな夜を演出。各シーズンが終わると、スヴェンは ” The Sound of the Season “と呼ばれるミックスをリリース。

Amnesiaで開催されたスヴェンのマンデーパーティは当時コマーシャルミュージックがイビサ島を席巻し始めた当時のイビサ島で、アンダーグラウンドサウンドを育てることになる。そして、Cocoonマンデーは2018年まで続き、2018年にPachaに移る。

 

 
■Cocoon Frankfurtの始動

2004年 スヴェンはフランクフルトにクラブ「Cocoon」をオープン。Omenでのスヴェンの試みの後継モデルに位置するCocoonクラブは非常に人気があった。テクノ、ハウス、トランス系のアーティストがプレイすることで知られ、有名どころではRichie Hawtin、Ricardo Villalobos、Armin van Buuren、Above & Beyondなどがいた。

建物内には、有名シェフが経営する2つのレストラン、ラウンジ、人々がたむろするための ”Cocoon niches” を特徴とする興味深い建築であったが、2012年11月にスヴェンは破産によりCocoonクラブを閉鎖。

なお、Cocoonのパーティ、レーベル、イベントはスヴェンと共に現在も世界中の様々な場所で展開中である。

 

 
ざっと、簡単にまとめただけでも、彼の多大な功績はもちろんだが、数多くの苦難があったことも分かる。むしろ、学ぶべき部分が多くあることに気づかされる。

音楽家として約40年以上も健在である理由。それは、さまざまな局面でどのような判断をしてきたか。そこに尽きると考えられる。

少しずつこうして紐解いてみることで、彼が「父」と呼ばれる理由は、更に奥深いものとなってくる。

 

 

DETAIL

 
DATE :
2023年12月31日(日)

VENUE :
WOMB(渋谷)

FEE :
【前売券 / ADV】¥6500
【当日券 / DOOR】BEFORE 1:00 ¥8000|AFTER 1:00 ¥5000
*前売券完売の場合は『当日券BEFORE 1:00 ¥8000』の販売はございません。
*If advance tickets are sold out, there will be no sales for “Door Tickets BEFORE 1:00 ¥8000”.

PERFORMER :

= 2F MAIN FLOOR =

SVEN VÄTH – ALL NIGHT LONG –
LIGHTING : AIBA
VJ : VJ MANAMI

= 4F VIP FLOOR & 1F WOMB LOUNGE =

DJ AKi
KIKIORIX
KYOKA
MUSTACHE X
MICHEL B2B 6.DO
SATOSHI OTSUKI
TIMO
YOSA & TAAR